2024/01/17
第888回放送「フィラーの価値」
2024/01/16 第888回放送
「フィラーの価値」
〈放送後記〉
こちらラジオ番組制作部でインタビューをとり、その編集を行うとき、「えっと」、「まあ」、「なんか」、「じゃあ」、「うーん」など、話の場つなぎや間をうめるためのフィラーといわれる言葉はほとんどカットする。そのほうが聴きやすくなる。また、スピーチなど公的な場で「えっと」「まあ」「なんか」といったフィラーを連呼することは一般的に、もしくはビジネス的には無駄だとされる。自信がなさげに思われてしまう、聴衆の意識をそいでしまうなどの理由がある。人前でフィラーを使わず話したいと考える人向けの本もある。しかし、フィラーにもなにか役割があるはずだと考えた。たとえば、ラジオパーソナリティが話すとき、まったくフィラーを使わなければかなり違和感を感じる。言葉と言葉の「間」の心地よさはフィラーのおかげなのではないか。フィラーが言葉のやり取りにおいて安心感を出しているのではないか。一方的でない生きた会話はフィラーによるのではないか。フィラーについての企画を立て、探求した。
そこで、フィラーに関する研究をしている京都大学の定延教利之教授にお話を伺った。フィラーの価値についての質問があったが、安易に「価値」と使うことには問題があるとのことであり、質問内容を再考しなければならなかった。取材では、現在のフィラー研究のことや、フィラーの効果・役割などについてお話しを聞いた。フィラーがあることで、コミュニケーションを円滑にする可能性があるが、聞き手と話し手がフィラーについて効果や役割、価値を認識していなければ、それはないとのことだった。また、AIはフィラーを使わないだろうという考えのもと、AIとフィラーの関係について質問したところ、AIを使うフィラーを作っているというお話しも聞くことができ、とても興味深かった。定延教授への取材では、学問的な見方からフィラーのことについて深堀りすることができた。
フィラーに関連する本や論文を読んだり、教授にお話しを伺ったりして、フィラーについて探求したが、私はフィラーには価値があると考える。フィラーは無意識に発されるもので、それを認識している人は少ないが、無意識に発されるものだからこそ、受け取る側も無意識のうちにフィラーから心情などを汲み取ることができるのではないかと考えた。フィラーを使うことは、より良いコミュニケーションのために役に立つと思う。
今回は、余裕をもって取材を行うことができなかった。取材を行うまでには時間的余裕があったため、街頭インタビューをとったり、代替案を考えたり、他の取材先を考えたりして、放送に使える材料をそろえておけば、焦らずに進められたと思う。
また、言葉自体の意味を考え直す必要があった。なかでも、「価値」という言葉の捉え直しは必要なことであった。班内で話し合い、広い視点をもっていけると、伝わりやすいものとなったはずである。
フィラーという馴染みのない言葉を使う中で、少々説明不足な部分があり、リスナーの頭の中で整理しきれない部分はあったかもしれない。随所にフィラーの説明を入れるという工夫をしたが、冒頭での詳しい説明は時間をかけて丁寧に行うべきだった。
全体の構成については、フィラー研究をしている教授へのインタビューを2部構成にしたことで、今ここで何を伝えたいのかということをはっきりさせられたと思う。ただ、まとめ部分は、もう少し多く時間をとっても良かったかもしれないと思った。伝えたいことがある中での抜粋も大事だが、できるだけ多く伝えるための構成の立て方も考え直していきたい。
また、生放送を行ううえで、BGMがあるとはいえ、話が止まってしまうと違和感を感じるリスナーがいるかもしれないため、今後の課題として、改善していきたい。
パーソナリティ 1年 古井日和(ディレクター)